インタビュー

岡山裕子さん

所属:株式会社ディーレンジ

>オフィシャルブログ

1980年茨城県生まれ。お茶の水女子大学卒業後、2002年に名古屋テレビに入社。「スーパーJチャンネル」 「ドラゴンズ倶楽部」 「ぱっぱ屋」 「光る!スポーツ研究所」などの番組を担当し、2006年3月に退職。上京してフリーアナウンサーの活動を開始。現在、気象予報士の資格取得のため、勉強中。

※上記プロフィールは取材当時のものです。

Interview vol.12 岡山裕子さん

名古屋テレビアナウンサー

フリーアナウンサーって誰かに認められた肩書きじゃない。だから自信と責任をもつことが大事なんですね。

今回のインタビューは、2006年春に名古屋の放送局を辞めて、東京でフリーアナウンサーを始めたばかりの、岡山裕子さんにスポットを当てます。フリーアナウンサーになる大きな決断をした岡山さんの今の思いを、率直に伺いました。

Q1.元局アナnetを知ったきっかけを教えて下さい。

元名古屋テレビアナウンサーの岡山さんが、現役時代に「元局アナnet」を見て感じたことをお聞かせください。

「元局アナ」というキーワードが気になって、局アナ時代から「元局アナnet」は見せていただいてました。インタビューを読んでいると、アナウンサーの活動を続けている方だけでなく、新たな分野で輝いている方も多いんだなぁ・・・と思って、私もできれば専門的なスキルを身に付けたいと思い、今は気象予報士の勉強をしています。フリーアナウンサーは競争の激しい世界なので、専門知識があれば自信もつくかな、という思いもあって、頑張っているところです。読んだ本に、「1日3時間勉強すれば1年で受かる」と書いていたので、そのとおりやっています(笑)。

Q2.局アナだった時と、フリーになってからの違いは?

名古屋だと、「おっちょこちょい」「何をやらかすかわからない」的な私のキャラをディレクターが知ってくれていて、その期待に合わせて動けたんですが、東京ではそれは通用しなくて、お互い探りながらやる感じですね。本当にコミュニケーションが大切だと思います。フリーだと一回使ってもらうのも大変だけど、二回目使ってもらうのはもっと大変。ひとつひとつの仕事を本当に大事にやっていかないと、次につながらないですからね。

フリーアナウンサーって、「自称アナウンサー」になってしまうんですよね。誰かに認められた、というものではないですから。自分に自信があって、自分に責任が取れないとできない仕事だと思います。局にいた時は「社員」だったのに、フリーになったらいきなり「芸能人」の仲間になっちゃうんですね(笑)。今思うと「局アナ」って、社員なのに「芸能人」の仕事をしていた。やることは同じなのに、立場が違うと、仕事に対する考え方も変えなくてはいけないんだなぁと、実感しています。

Q3.フリーになった今、これからの目標は?

とにかく、この1年の目標は、気象予報士の資格を取る事です!気象から「環境」にテーマを広げて、環境に関するコメンテーターを目指していきたいと思います。この人に近づいてみたい、という具体的な目標は「小谷真生子さん」!知的な感じで素敵ですよね。これからは資格と自信を身に付けて、専門分野に強い知的なキャスターを目指します。

(2006/06/26 東京・赤坂にて)

インタビュー一覧へ