インタビュー

郡和子さん

郡和子オフィシャルホームページ

>http://www.koorikazuko.jp/

宮城県仙台市生まれ、東北学院大学卒業後、東北放送(株)にアナウンサーとして入社。入社以来、18年間、ニュースキャスターを務める。その間に出産、産休も経験。また、番組制作にも積極的に取り組み、自身で企画・取材・制作した数々のドキュメンタリー作品で、民間放送連盟賞優秀賞、ギャラクシー賞選奨、等を受賞。 2005年報道制作局部長就任。2005年9月、第44回衆議院議員選挙で東北比例で初当選。現在、民主党民主党宮城県第一区総支部長 、衆議院厚生労働委員会委員、衆議院青少年問題に関する特別委員会委員 を担当。また、アナウンサー時代から市民活動に積極的に関わり、現在も重度心身しょうがい施設[リプロネットみやぎ]役員などを務める。

※上記プロフィールは取材当時のものです。

Interview vol.13 郡和子さん

東北放送アナウンサー

「迷ってる時」はまだ早い。背中をポンと押してくれる転機は必ずやってきます。

今回は、元東北放送のアナウンサーで、2005年の衆議院選挙で初当選し、現在衆議院議員の郡和子さんにお話を伺いました。アナウンサーを26年やってこられた郡さんが、政治家になったきっかけ、そして、現在のお仕事のこと、また、転機の見極め方について話していただきました。

Q1.アナウンサーから政治家になったきっかけを教えて下さい。

26年間アナウンサーとして活躍された郡さんが、政治家になったきっかけを教えてください。

アナウンサーには小さい頃からなりたかったんです。アナウンサー以外に考えたことがなかった。ただ、ニュースキャスターを18年やってきて、市民運動家といわれる人たちと取材を通して知り合う機会があり、実際に共に活動をする中で、市民運動の大切さや女性の政治参画の必要性も、感じてはいました。ただ、私が政治家になろうとは思わなかった。アナウンサーとしてやりたいこともあったし、放送というフィールドでできることもあると思っていましたから。 でも、去年、「選挙に出ないか」というお誘いを受けて、これからの自分が放送の現場で何ができるかを考えた時に「放送はある程度やり終えたかも知れない」という気持ちが強くなって、ならばいろんな人たちの声を政策の中に反映するほうがより実行的だし、私のやりたいところに一番近いんじゃないかと思ったんです。しかも女性の政治参画が必要だとあんなに言ってきたのに、自分に声がかかって、出ませんというのでは女がすたると思って(笑)、一大決心をしました。

Q2.転職後の生活について教えてください。

アナウンサーからへの転職。生活が一変したのではないですか?

アナウンサーから政治家になって、「取材する側からされる側になりましたね」ってよく言われるんですが、政治家も実は、「取材する」ことが多いんですよ。政治活動の大部分といってもいいくらい。政治家は、地域の方々が何に困っているのかを知るために、地域を回ってインタビュー。政策作りや質問をするためにも、役所や関係団体の方々にインタビューをします。結局、アナウンサーを辞めた今もインタビューを続けているんですね。アナウンサーと政治家が、これほど近い仕事だとは思いませんでした。違いは、電波に乗るのか、乗らないかだけ。アナウンサーとして電波を使って世論を紹介、喚起するところから一歩進んで、「こうすべきでしょう」と提案して、それを実行に移せる立場になったということは、すごい変化だと思いますね。

Q3.転職しようかと迷っている人たちへ、メッセージをお願いします。

実は元局アナで国会議員として活躍している人って何人もいらっしゃるんです。小宮山洋子さん(元NHK)、私の直接の先輩の岡崎トミ子さん(東北放送)、林久美子さん(びわ湖放送)島田智哉子さん(NHK福岡放送局キャスター)、鈴木陽悦さん(秋田テレビ)など・・・。皆さんそれぞれが、自然に決断の時を迎えたのではないかと思います。迷っている時って、決断するにはタイミングが早すぎる場合が多い。迷っていてもいつかはっきり見えてくる時期が来ると思いますから、そこまで待ったほうがいいんです。背中をポンと押してくれる何かがあるから、そのときが大きな決断、転職のチャンスでは? 迷っている中で、もし「こうなりたい」という漠然としたものがあるなら、今の仕事を続けながら始めてみては?与えられた仕事だけじゃなく、自分で開拓できる仕事もあるでしょう。そういった仕事の中から、自分が寄って立つところが見えてくるんじゃないかな、と思いますよ。

(2005/08/09 東京・赤坂にて)

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