インタビュー

深澤典子さん

深澤典子オフィシャルホームページ

http://park15.wakwak.com/
~fukachan/

新潟県出身。大学卒業後、CATV会社に入社。キャスター兼レポーターとして、2年間勤務。その後、株式会社ファンケルに転職。TV・ラジオの広報を担当し、全国各地の番組に多数出演。また、FM北海道、FM沖縄、SBS静岡放送では、『クラブ・エスポワール』のレギュラー。テレビ神奈川『グラフィック42番街』のレギュラーを務める。同時に、イベントブライダルの司会者としても活動。横浜で開催される、横浜国際マラソン、東日本駅伝、トライアスロン選手権などのスポーツイベントでは、平成元年より7年間専属司会を務める。平成7年3月、結婚のため、金沢に転居し、金沢全日空ホテル、ホテル日航金沢、金沢国際ホテル等の婚礼司会、司会講座講師などを務める。現在は株式会社ファンケルのファンケル銀座スクエア勤務。イベントや販促企画を行う一方、自らもイベントの司会者として活動。BSフジのアニメ番組「優しさと感動のこだま」ではナレーションを担当するなどアナウンサーの経験を生かして幅広く活躍中。
全日本ブライダル協会認定ブライダルプロデューサー。JTAAジャパンテーブルアーティスト協会認定講師。

※上記プロフィールは取材当時のものです。

Interview vol.18 深澤典子さん

元CATVアナウンサー
北陸朝日放送番組契約
アナウンサー

どの人とのお付き合いもこれで終わりってことはない。だからこそ、いつも「グッドフレンドシップ」を心がけています。

元局アナnetが主催したセミナーにご参加いただいた深澤さん。参加者の中でもひときわ輝く存在感を放っていらっしゃいましたので、編集部の桑原麻衣がインタビューをさせていただきました!現在、株式会社ファンケルに勤務する深澤さんに、アナウンサーからのキャリアチェンジについて伺いました。

Q1.アナウンサーになったきっかけは?

大学時代に三宅裕二さんのラジオに面白い話を投書したら、採用されて。それをきっかけに放送作家の人に気に入られて、それから、ちょくちょくラジオやテレビに出るようになったんです。就職は、大学卒業時にあるテレビ番組のレポーターの話があったんだけど、父が病気で倒れてしまったので地元のCATVに入社しました。

Q2.CATVではどんな仕事をしていましたか?

CATVでは、なんでもやりましたね。天気予報から、ニュース読み、ニュースがなければ自分でニュース探しに行くし、原稿も書きました。そのときに、このまま年をとってシミだらけ、皺だらけになって、どんなに話すことが上手になっても、視聴者はそれを求めてないなって23歳くらいで悟っちゃったんです。とちっても、フレッシュなほうがみんな喜ぶんですよね。テレビの世界ってそういうものだなぁって。

Q3.なぜ化粧品会社という全く違う業種に転職を?

そもそも、大学時代に父が倒れて8年間、寝たきりだったんですけど、そんな状態でも私は大学に行くことができたんです。それは、母が経済的に自立していたからなんですね。旦那さんに頼りきっている奥さんだと、旦那さんに何かあった時に、もしかしたら子供に夢を諦めさせなければならない。やっぱり、自分の子供には、夢をあきらめないで歩んでほしいって意識がずっとあったんですよね。そのためには、営業とか話すことそのもののテクニックじゃなくて、本当に心からこれはいいよ!って思える仕事がしたかったんです。
そうやって悶々と考えていた時にひらめいた物がありました。実は私、中学生時代からニキビがひどくて悩んでいて、スキンケアは無添加のファンケルを使っていたんですけど、仕事するようになった頃には、肌の悩みはいつのまにかほとんどなくなっていて、ファンケルの商品力を実感していました。それで、私と同じような悩みを抱えている人に、このファンケルの商品だったら心から勧めてあげられるんじゃないかなと思って。「一生できる仕事?」これならできるんじゃないかとぴん!ときました。その頃の会社については、どのくらいの規模の会社なのか、組織風土は?社長はどんな人か?など、ほとんど知らなくて、お客としてつながっているだけの知識しかなかったわけですが、思い立ったら即行動するタイプで、早速ファンケルに「人事募集していませんか?」って問い合わせたら「していません」。だけど一回、面接に来なさいって言われて、住んでいた新潟から、ファンケルの本社のある横浜まで面接に行ったんです。その時は、こんなにやる気のある私を採用しないのだったら、会社は見る目がないと思いました(笑)今の会社の規模はどうでもいい!私、この商品が伸びる!これからどんどん大きくなる会社だっていう、本当に真剣に考えたときの女の勘があったんです。それで面接してもらって、帰りの新幹線の中で内定の電話をもらいました。

Q4.転職後はどのような仕事をされましたか?

最初はOL見習いを人事部で1年、その後、広報部が新設されて広報担当になりました。入社した当時の会社は、私の予想通り、年率20〜30%で伸びていたんです。勘は正しかったと思いました。広報になってからは、それまで社長が受けていた会社や商品に関する取材を全部こちらで受けたり、企業のメセナ活動PRのためのセミナーやフォーラムなどのイベント企画をしたりしました。

Q5.そこで学んだことは?

企画の部署に移動した時に、外部の企画の塾に通っていてそこでまず「自分自身の人生を企画する」という課題が与えられました。私にはどういう目標があって、どんな素材があって、人脈や経歴、資格があるか書き出していくんですね。企画は料理と一緒で、例えば目標でカレーライスを作りたいって思ったら、具を何にするとしても、絶対、カレー粉という(素材)がないとダメ。カレー粉もないのに、カレーを作りたいと思っても目標自体がそれは間違っているんですね。じゃがいもとたまねぎがあるなら、今、自分に足りない肉とにんじんは買ってこよう!(勉強しよう!)ってなるでしょ?
それまで、スランプの時には「自分はなんて仕事が出来ないんだろう」思って落ち込むことがいっぱいあったけど、自分の人生企画書を作ってからは、全くスランプに陥らなくなったんです。お勧めですよ!目標がここって決めた段階でそこに向かって、上がったり落ちたりしているだけなんです。だから、ちょっと落ちても、自分はここに向かって、この辺に来ているんだ!って思ったら、全く落ち込まなくなったんです。

Q6.その後、結婚を期に退職して金沢へ行くことに?

はい、ファンケルを退職する時に、企画の先生が「君は自分自身ですごくいいものを持っているから、今度は自分を広報しなさい」って言ってくださったんです。それで、金沢ではそれまで企業広報として行っていたリリース配信やマスコミの方々との関わりのきっかけを自分自身の話題や、非常勤講師として関わっていた専門学校の話題に差し替えてアピールしました。ですから、企業広報としての経験は、金沢でも大いに役立ちましたよ。金沢では金沢全日空ホテル、ホテル日航金沢、金沢国際ホテル等の婚礼司会や司会講座の講師を務め、北陸朝日放送のテレビ番組に8年間レギュラー出演しました。そんな毎日を過ごしているときに、ファンケル25周年の年に創業者とタレントさんのトークショーをメインとする北海道から沖縄までの全国行脚のイベントを開催することになって、そのMC役として、お声をかけていただいたんです。金沢の自宅に、元の上司からの電話があり、その場で創業者(以前勤めていた当時の社長)に電話を変わって「頼むね」って言われたときは、胸が熱くなりました。それを機にファンケルとの縁が復活して、またファンケルに戻ることになりました。現在は、ファンケル銀座スクエアで、お客様向けのイベント企画や、取材を受ける際のマスコミ対応、販売促進などを担当しています。

Q7.仕事をするときに心がけていることは何ですか?

何でもいいから、何か自分の目標を定めて、そこに「誇り」を持って生活してほしいですね。上手くいかないとか、仕事がないとかグチを言うのだったら、そういうマイナス思考には早く見切りをつけて他の事をするか、今、足りない自分の素材をよく考えて、今は、素材補充の時期と人生のスケジュールを割り切って考えて、その素材を一つひとつプラスしていくってするといいかもしれないですね。
何年か経ったときには、大きくなれるし、そうしなかった人との差も付いていると思います。

〜取材を終えて〜
現在深澤さんは、ファンケル銀座スクエアでイベント企画や販売促進のための情報誌の制作、銀座以外では、本社の電話応対コンクールの出場者に向けたボイストレーニング、企業協賛イベントでの司会などアナウンサー経験を活かしてご活躍中です。アナウンススキルをマスコミとは違った業種、アナウンサーとは違った職種で活かすことのヒントになるお話をいただけたかと思います。ありがとうございました!

(2008/09 東京・銀座にて)

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